大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

富山地方裁判所 昭和50年(ワ)169号 判決

原告 国

右代表者法務大臣 秦野章

右訴訟代理人弁護士 志鷹啓一

右訴訟復代理人弁護士 神田光信

右指定代理人 伊藤利雄

〈ほか四名〉

被告 堀正義

右訴訟代理人弁護士 葦名元夫

同 木澤進

同 兵頭進

同 中村雅人

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地上に植栽された樹木を収去し、同土地を明渡し、昭和五〇年八月二九日から明渡しずみまで一か月金七、二五七円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  富山市五福字城三九八〇番地(登記簿上の面積一三、五三三・八八平方メートル、実測面積一八、四五六・一八平方メートル。以下「三、九八〇番土地」という。)は、もと稲垣梅太郎の所有であったところ、原告は、同人から、明治四〇年八月二〇日、寄付により、その所有権を取得した。

2  被告は、遅くとも昭和五〇年八月二九日から三、九八〇番土地のうち、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)上に柿、栗、ヒバ等の樹木数十本を植栽して同土地を占有している。

3  本件土地の賃料は、一か月金七、二五七円を相当とする。

4  よって、原告は、被告に対し、所有権に基づき、右樹木収去土地明渡を求めるとともに、不法行為による損害賠償請求権に基づき、昭和五〇年八月二九日から明渡ずみまで一か月金七、二五七円の割合による損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2項の各事実は認める。

2  同3項の事実は知らない。

三  抗弁

1  取得時効

被告は、昭和二〇年一〇月から、本件土地の占有を継続してきたものであり、昭和四〇年一一月一日の経過により本件土地の所有権を時効取得したものである。

2  利用権の存在

(一) 被告の入植の経緯

(1) 昭和二〇年一〇月、第九師団長達同経理部長指示により、帰農を希望する復員軍人は、現役将校(三五歳以上)予備役将校、下士官、兵の順位により軍用地に入植することとなった。

当時、被告は第九六部隊付現役将校で三五歳であり、第九六部隊解散と同時に富山連隊区司令部に転じた。右部隊中の入植希望者は二七名であり、被告は開拓地である富山市五福字城三、九八〇番地陸軍作業場に配置された。

部隊解散後、被告は、呉羽農業協同組合組合長理事室田市郎により、入植基準適任者と認められ、富山県農地委員会へ推薦のうえ入植が決定された。

同月、被告は、右作業場に入植し、本件土地を含む開拓地を与えられ、天幕を張って荒地を切り開き耕作を始めた。

(2) 昭和二一年九月、被告は、農林省から、家屋建築の補助金として金三、〇〇〇円の交付を受けた。

被告は、同年中に右開拓地内に建坪二五坪の家屋を建築した。

(3) 昭和二三年、被告は、本件土地を含む開拓地の成功検査を受け、開拓が終わったことを認められた。

(4) 昭和二四年一二月、被告は、富山県警察から、三、九八〇番土地のうち、本件土地及び被告所有建物敷地、周辺土地を除く部分の土地を射撃場として利用したい旨依頼された際、自らが本件土地の使用権者であることを前提として一定期間射撃場用地として利用することを認めた。

そして、同月、被告は、原告から、今後の耕作物の補償料の名目で金三万円を受領した。

(5) 昭和二七年四月頃、被告は、富山県警察から、本件土地の所有権を認めたうえ、射撃場の付帯土地として利用したい旨依頼された。

(二) 利用権の法的根拠

以上のとおり、被告は、昭和二〇年一〇月、国の政策に基づき本件土地を含む軍用地への入植資格を得て入植し、昭和二三年、本件土地を含む開拓地の成功検査を受け、開拓の終わったことを認められ、その他の事情があったのだから、本件土地の払下げを受けられる法的地位があったものというべく、したがって、原被告間には、自作農創設特別措置法(以下「自創法」という)四一条の準用による使用貸借が成立し払下げを受けていない現在まで使用貸借関係が存在しているものである。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1項の事実は否認する。

なお、本件土地は、昭和二一年四月一日から、富山市呉羽農業協同組合が農耕用地として適法に占有し、昭和二四年八月八日から昭和四四年三月二〇日まで国家地方警察富山県警察隊が拳銃射撃場及び同訓練場として、その後は警察官待機宿舎用地及び同宿舎建設予定地として適法に占有していたものである。

また、本件土地は、昭和二七年七月三一日以後は、総理府所管の行政財産であるから、時効は成立しない。

2(一)  抗弁2項(一)の(1)のうち、被告が本件土地に入植したことは否認し、その余の事実は知らない。

同項(一)の(2)のうち、被告が家屋を建築したことは認め、その余の事実は否認する。

同項(一)の(3)の事実は否認する。なお、開拓地の成功検査は開拓財産と決定されたものについて自創法又は農地法の規定に基づき、売渡した後に行われるものであって、開拓財産とならなかったものについては、成功検査は存在しない。

同項(一)の(4)の事実は否認する。

なお、昭和二四年六月一五日、国家地方警察富山県警察隊長は、大蔵省(金沢財務部長)に対し、三、九八〇番土地のうち、本件土地を含む土地二、一〇五・七坪について、右土地を使用中の富山市呉羽農業協同組合の同意を得たうえ、国家地方警察富山県本部警察学校の拳銃射撃場及び同訓練場用地として使用のため一時使用申請をした。そこで、大蔵省は、同年八月八日付で、右同日から昭和二五年八月七日までの一ヶ年につき無償で使用することを認可したため、右警察隊はその引渡を受けて右土地に拳銃射撃場及び同訓練場を設置したものである。

同項(一)の(5)の事実は否認する。

(二) 同項(二)は否認する。

(1) 旧軍用地で連合軍(占領軍)から返還されたものは大蔵省の管理下におかれ、そのうち農耕適地については、農地解放の目的に供するため大蔵省から農林省に所管換のうえ、自創法に基づき売渡すこととされていた。すなわち、政府の所有に属する土地物件のうち、都道府県農地委員会が、「農地の開発に供すべきもの」との決定をし、続いて都道府県知事が予めその国有財産を管理する所管大臣の認可を受けて右決定を認可したときに初めてその国有財産は農林大臣の管理に移り、その後、耕作適格者に売渡すこととされていたものである。しかるに、本件土地を含む三、九八〇番土地は、かかる決定も認可も全く行われておらず、売渡の対象とされておらないものであって、売渡を前提とする無償の一時貸付もあり得ない。

(2) 三、九八〇番土地は、国家地方警察富山県警察隊の拳銃射撃場及び同訓練場として貸付け、又は富山市立呉羽小学校敷地として売渡が行われたものであるが、このことは、富山県農業委員会が、農地解放のため三、九八〇番土地を開拓財産とする決定を行わなかったことによるものである。のみならず、本件土地は、昭和二七年七月三一日、前記のとおり拳銃射撃訓練場の用に供するため大蔵省から総理府の行政財産として所管換されたので、この所管換によって本件土地が開拓財産となる可能性は消滅したものというべきである。

(3) 仮に、三、九八〇番土地が自創法による土地としての性格を有していたものであれば、被告は、右土地について自創法四一条一項二項、一七条又は農地法六一条の規定による買受申込みをし、売渡を受けているはずである。しかるに、被告は、原告に対し、昭和三二年七月一六日、被告が住宅敷地として使用していた三九八〇番土地のうちの本件土地の隣接地の売払申請をしたので、原告は、被告との間で昭和三三年七月七日、予算決算及び会計令臨時特例五条一項五号による随意契約によって有償売払をしたものであり、このことは、被告が売払いを受けた土地を含む三、九八〇番土地につき自創法又は農地法による売渡しを受けるべき地位になかったことを自認していたものというべきである。

五  再抗弁(抗弁1項に対し)

1  他主占有

仮に被告が、昭和二〇年一〇月から本件土地を占有していたとしても、被告は本件土地が原告の所有であることを認識して占有していたから他主占有である。

2  時効中断

仮に、被告が、昭和二〇年一〇月頃、本件土地の占有を開始したとしても、昭和二一年四月一日、富山市呉羽農業協同組合が占有を開始したのであるから、被告が任意に占有を中止したか、又は右組合に占有を奪われたものである。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1項は争う。

なお、原告関係者は、昭和二〇年一〇月以来、本件土地を被告の所有地として取扱ってきたものであり、被告は、富山県警察隊担当者らの甘言、法令の無知などによって本件土地を自己の所有であると信じて自主占有していたものである。

2  再抗弁2項は争う。

七  再々抗弁(再抗弁1項に対し)

仮に、昭和二〇年一〇月に自主占有が開始していないとしても、被告は、県警関係者木谷長太郎に対し、昭和二七年四月二〇日、本件土地を永久に無償で使用する旨文書で表示して所有の意思を表示しているのであるから、昭和二七年四月二〇日には、被告の占有は自主占有となったものである。

八  再々抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1、2項の事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁1項(取得時効)の事実について

1  《証拠省略》を総合すれば、被告が昭和二〇年一〇月頃本件土地を含む土地の占有を開始したことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

2  《証拠省略》によれば、被告は昭和二〇年一〇月頃、本件土地が原告の所有であることを認識して占有していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  被告は、昭和二七年四月二〇日、県警関係者木谷長太郎に対し、永久に無償で使用する旨文書で表示して所有の意思を表示していたのであるから、同日には被告の占有は自主占有になった旨主張する。

民法一八五条に定める自主占有への変更は、他主占有者が自己に占有をなさしめた者に対して所有の意思のあることを表示することを要するところ、永久に無償で使用する旨の表示は、所有の意思を有することの表示とは解されないから、被告の自主占有への変更の主張は、主張自体失当であるといわざるを得ない。

4  よって、取得時効の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

三  抗弁2項(利用権の存在)の事実について

1  《証拠省略》を総合すれば次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  三、九八〇番土地は、もと富山陸軍作業場として使用されていたところ、終戦後、連合軍に接収され、昭和二二年二月八日、連合軍から大蔵省へ正式に返還され、昭和二七年七月三一日富山県国家地方警察用の公用財産として総理府に所管換されたものである。

(二)  終戦後、三、九八〇番土地の内の西側部分を、呉羽農業会に属する者や附近住民が無断で耕作を始め、そのため原告の指示により、昭和二三年四月一日、呉羽農業会が、大蔵省に対し、三九八〇番土地につき借受申請をし、これが認められた。

(三)  国家地方警察富山県警察隊は、昭和二四年八月八日、大蔵省の認可及び呉羽農業会の後身である富山市呉羽農業協同組合の同意を得たうえ、三、九八〇番土地のうち本件土地を含む一、九七八・四坪の土地を拳銃射撃場及び同訓練場用地として無償で借受けた。

(四)  しかし本件土地は、昭和二〇年一〇月以降被告が継続して占有してきた。

(五)  富山市は、三、九八〇番土地の内の前記附近住民らが耕作していた西側部分を、呉羽小学校の拡張用地とするため、昭和二五年三月二二日、原告からその部分の売渡を受けた。そして耕作にあたっていた者は、同年一月頃までに全てが離作した。

2  《証拠省略》を総合すれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  被告は、富山市に駐屯していた旧陸軍第九師団九六部隊に所属していたが終戦となり、昭和二〇年一〇月、本件土地を含む三、九八〇番土地の一部に入り、開墾を始めた。

(二)  被告は、昭和二一年五月、富山県から、三、九八〇番土地のうち本件土地の北側に隣接する部分に家屋を建築することの許可を与えられ、同年一〇月、家屋を建築した(家屋を建築したことは当事者間に争いがない)。

被告は、その際原告から、呉羽農業会を通して住宅建築の補助金として金三、〇〇〇円の交付を受けた。

(三)  被告は、昭和二七年以降、原告に対し、右住宅敷地部分二四一・二八坪の土地の使用料を支払っていた。

(四)  被告は、原告に対し、昭和三二年七月一六日、右住宅敷地の普通財産売払申請をし、昭和三三年七月七日、原告から随意契約により右土地及び土地上の樹木を金一六万〇、九三〇円で売払を受けた。(この事実は当事者間に争いがない。)

3  《証拠省略》を総合すれば、次の各事実が認められる。

(一)  開拓事業は、戦時中から食糧増産の見地から実施され、開畑が奨励されていたのであるが、敗戦によって国土が非常に狭められたこと、多くの海外移住者や復員軍人が引掲げてきたこと、国内においては多くの戦災者や離職した工員等があること等を考え、急速な国内開拓が叫ばれるようになり、昭和二〇年一一月九日、緊急開拓事業実施要領が閣議決定された。

これは、終戦後の食糧事情及び復員に伴う新農村建設の要請に即応し大規模な開墾、干拓及び土地改良事業を実施し、以て食糧の自給化を図ると共に離職した工員、軍人その他の者の帰農を促進することを目的としたものであった。

そこに定められた開墾の要領は、概ね五〇町歩未満の小団地開墾は地方長官が適当と認めた団体、個人が、概ね五〇町歩以上三〇〇町歩未満の集団地開墾は地方長官が決定した都道府県、農地開発営団、地方農業会その他実力ある団体、個人が、概ね三〇〇町歩以上の集団地開墾は農林省が決定した事業主体が、それぞれ施行するものとされ、軍用地中農耕適地は自作農創設のため急速に開発せしめすみやかに払下等の処分をなし旧耕作者及び新入植者に譲渡するものとされた。

(二)  前記緊急開拓実施要領の決定に伴い、入植者住宅、飲雑用水施設、共同利用施設等生活環境に関する助成が実施された。住宅については、昭和二〇年度に予算が成立し、新築住宅については一〇〇パーセント(一戸当り最高金三、〇〇〇円)の補助がなされることとなった。

(三)  富山県内においては、終戦直後即ち前記緊急開拓実施要領の決定前から旧軍用地への入植が始まり、立野原陸軍演習場では、立野原陸軍廠舎で終戦を迎えた旧軍人が、富山県と交渉し昭和二〇年九月中旬土地の使用許可を得て入植し、又同年一〇月には富山県が同地への入植者を公募し、これに応募した者が同年一一月四日に入植し、又富山市内の富山陸軍練兵場にも終戦直後に、主に前記旧陸軍第九師団九六部隊所属の旧軍人らが入植した。

(四)  昭和二五年三月頃の富山県の調査では、富山市においては、昭和二〇年当時三七戸が入植したが、昭和二五年三月三一日現在では三六戸が離脱し、一戸が残るのみであり、その一戸は富山陸軍作業場への入植者であった。右離脱者は、富山陸軍練兵場へ入植した者であり、これは、富山県が同地区に総合運動場を建設することになり、離作料を支払って離作させたことによるものである。

(五)  終戦後、富山陸軍作業場で、土地を開拓しないしは農耕に従事していた者は、被告と前記認定の附近住民らとであった。しかし右附近住民らは入植者ではなく、又前記認定のとおり昭和二五年一月頃までに全てが離作していた。そして同年三月末当時そこで開拓に従事していたのは被告のみであった。

(六)  昭和二一年一二月二八日には自創法が施行され、又昭和二三年一〇月二四日に農林省の省議決定により、国土資源の合理的開発の見地から開拓事業を強力に推進して、土地の農業上の利用の増進と、人口収容力の安定的増大を図り、以って新農村の建設に寄与することを目的として、緊急開拓事業実施要領が開拓事業実施要領に改訂された。これら一連の法律や施策により、旧軍用地外の国有地のうち農耕に適する土地は農林省へ管理換し開拓地とされることになった。富山県において、旧軍用地の農林省への所管換は、昭和二五年三月二日をもって最終的に完了したが、本件土地を含む富山陸軍作業場や富山陸軍練兵場は所管換はなされなかった。

4  そこで検討するに、2、(二)認定の被告が原告から受けた住宅建築の補助金は、3(二)認定の入植者に対する補助金であると認められ、3(四)、(五)認定の事実からは、富山県の調査による富山陸軍作業場への入植者は被告であることが認められる。そしてこれらの事実に2(一)認定の事実、《証拠省略》を総合すれば、入植の経緯は明らかではないが被告が昭和二〇年一〇月頃本件土地を含む三、九八〇番土地の一部に適法に入植したことが認められる。ところで被告が、住宅敷地部分について、使用料を支払い次いで随意契約により原告から買受けたことは前記2(三)、(四)認定のとおりであるが、それは、三九八〇番土地が農林省へ所管換されなかったことによるものと考えられ、前記3(三)認定の富山陸軍練兵場の如く農林省へ所管換がなされなかった旧軍用地についても入植が認められていたし、又三、九八〇番土地が農林省へ所管換されなかったのは1認定のとおり富山県警察隊に拳銃射撃場等の用地として貸付け、又一部は呉羽小学校用地として売渡すことになったことによるものと考えられる。よって前記2(三)、(四)認定の事実や所管換がなされなかったことをもって前記入植の事実の認定を左右するものではなく他に右認定を覆すに足る証拠はない。そうすれば、結局本件土地については原告と被告との間に使用貸借契約が成立しているものと解される。

四  結論

したがって、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺﨑次郎 裁判官 菊地健治 高部眞規子)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例